市内でタクシーに乗って「吉塚道頓堀の環境開発まで。」と言えば、だいたい通じるランドマーク(?)的な交差点。
道頓堀と言えば、大阪ミナミ(難波)の道頓堀を一番に思い浮かべると思います。
何故、福博の街に「道頓堀」の名が?
そのミステリー ・・・について、ご紹介します。
まずは吉塚(よしづか)の由来。
約400年前、薩摩の島津家に忠義を尽くし勇敢に戦って散った二人の兄弟武将を、敵方の豊臣軍が「あっぱれなり」と 塚に葬り祀りました(現在の吉塚地蔵堂)。
兄弟の名は星野吉実、吉兼。
吉塚の地名は吉実(よしざね)を祀った塚ということで「吉実塚(よしざねつか)」と呼ばれていました。
それが時を重ねて「よしづか」と呼ばれるようになったとの事です。
次に道頓堀(どうとんぼり)の由来。
これには諸説ありますが・・・私的には解り易い Y氏は暇人 と言う福博の街に特化したサブカル情報サイトから引用させていただきます。
(現在の大阪ミナミの道頓堀です)
ふむ。ふむふむふむ・・・昭和の初期頃から「道頓堀」と呼ばれた訳か。
(昭和初期頃の大阪の道頓堀の風景です)
ふむ!ふむふむふむ・・・賑わい振りにあやかって、験担ぎの意味合いで名付けられたのか!
「何だ!ググッて、コピペしただけじゃないか!」「Y氏の暇人を見た方が早いぞ!」
た、確かに・・・。
この蘊蓄を語ると、吉塚校区限定でモテるかもです。
「Y氏の暇人」の山田様、資料のご提供ありがとうございました。
企画開発室 竹下